2008-01-01から1ヶ月間の記事一覧

ご幼少のみぎり

ガルシア=マルケスの『幸福な無名時代』(ちくま文庫、旦敬介訳、1995年、親本は1991年)です。 作者が、1958年、ベネズエラで週刊誌の記者をしていたときの文章を集めたものです。日本で編集されているので、直接的な原本はないようです。 もちろん、当時の…

二つの声

リービ英雄さんの『越境の声』(岩波書店、2007年)です。 ご存知の方も多いでしょうが、リービさんは、日本語で小説を書いています。みずから日本語で書くことを選び取ったということは、日本語が、普遍的な思考を可能にしていくことばであることもしめして…

積み重ね

藤井貞和さんの『言葉と戦争』(2007年、大月書店)です。 戦争に関する藤井さんの考察そのものは、いろいろと議論していかなくてはいけないのでしょうが、巻頭書き下ろしの「言葉と戦争」で、「日米防衛ラインのこれからの無力化」を課題としていこうとする…

率直さ

壺井繁治さんの『激流の魚』(立風書房、1974年)です。 小豆島に生まれた生い立ちから、戦争が終わるときまでの自伝で、詩人としてどのようにその時代を生きてきたかをふりかえっています。 もちろん、プロレタリア作家同盟解体のあとの、苦しい時代に、自…

青春

青木陽子さんの『雪解け道』(新日本出版社)です。 1967年に、北陸のある大学に入学した女子学生の、4年間の軌跡を追った作品です。生駒道子という主人公は、その大学の国文科の学生で、当時の学生運動の渦中にひきこまれていきます。その大学でも、お定ま…

発表舞台

伊藤信吉さんの『逆流の中の歌』(泰流社、1977年)です。 1920年代末、伊藤さんが『学校』という詩誌をつくり、草野心平たちと詩の運動をしていたころの回想記です。当時の流れでは、伊藤さんたちはアナキズムのほうに加わっていて、それがだんだんと転換し…

探索

渡部潤一さんの『新しい太陽系』(新潮新書、2007年)です。 渡部さんは、この前の、惑星の定義を決めた天文学の学会で、その原案を策定した委員の一人だったそうです。アジア地域からは渡部さんが代表格となって出席したのだそうです。最近は、テレビでも天…

誇り

野川紀夫さんの『時の轍』(2007年、光陽出版社)です。 『民主文学』に連載されていた小説で、1970年代半ば、名古屋のある機械メーカーでおきた、解雇撤回を求めるたたかいを題材にしています。 主人公は、解雇対象にされ、その撤回を求めて、10年余りもた…

前車の轍

昨年事故で亡くなった、ハルバースタムの『ザ・フィフティーズ』(新潮OH!文庫、金子宣子訳、2002年、原著は1993年、親本は1997年)です。 なにせ、全3冊、総計本文1356ページと長いので、けっこう読むのに時間がかかってしまったのですが、ここで描かれた19…

いいのかそれで

週末には、一週間のニュースをふりかえるような番組がテレビにあります。その中では、アメリカ合衆国の大統領選挙の予備選挙の話題が多いようです。。 このシステム、立候補を表明した人たちが、各州の党員集会だの、予備選挙だのでだんだんとふるい落とされ…

年をとる

『文藝』の話の続きです。 河出は、今回の「世界文学全集」の版元ですから、ここでも池澤夏樹さんが大活躍。江國香織さんや、青山南さんとの対談が載っています。 内容については、前にも書いたようにいろいろと思うところも当然ありますが、こうした企画自…

下に見る

北原白秋の『フレップ・トリップ』(岩波文庫、2007年、親本は1928年)です。1925年の夏、彼が樺太を旅行したときの記録です。 萩原恭次郎を思わせるような、ことばを弾丸のようにつかった描写とかもみどころなのでしょうが、そうした表現を使う、白秋のある…

つながる記憶

『すばる』の2月号を拾い読みしているのですが、モブ・ノリオさんの裁判傍聴ならずの記もなかなか興味深く、最近の『すばる』が、いろいろと試みているような動きとあわせて考えることができます。 また、井上ひさしさんと沼野充義さんのチェーホフをめぐる…

立場

家永三郎さんの、『革命思想の先駆者』(岩波新書、1955年)です。 家永さんといえば、教科書裁判で有名ですが、もともとはこうした日本思想史の研究を主としてやっておられたようで、この本は、植木枝盛の生活と思想を概説的に書いたものです。 植木といえ…

すっきりしない

昨年のノーベル文学賞受賞者、ドリス・レッシングの『アフガニスタンの風』(加地永都子訳、晶文社、1988年、原著は1987年)です。 著者が、パキスタンを訪問して、アフガニスタンからの脱出者に会ったり、アフガニスタンで戦っている人たちからの話を聞いた…

言うのはただだ

本が読めないので、テレビの話から始まります。 箱根駅伝をみていたら、日本航空のコマーシャルがありました。ひとつは機客室乗務員の方、もうひとつは整備士のかたで、思い出を語って、会社のイメージをあげようとするものでした。 ところで、『民主文学』…

新年早々

年が改まりました。今年もよろしく。 ところで、なぜ、「紅白」の終わりが「契り」なのでしょう。五木ひろしに阿久悠が提供したうたが、これしかないとは思えないのですが、何もこのときに「大日本帝国」の主題歌を歌わせるという神経がよくわかりません。