率直さ

壺井繁治さんの『激流の魚』(立風書房、1974年)です。
小豆島に生まれた生い立ちから、戦争が終わるときまでの自伝で、詩人としてどのようにその時代を生きてきたかをふりかえっています。
もちろん、プロレタリア作家同盟解体のあとの、苦しい時代に、自分が時代に「協力」してしまったことへの回想もあります。思想としての正しさは理解していても、いざ牢獄にはいり、ほかの仲間たちが次々と〈転向〉して出獄していくなかで、「外へ出たい」という気持ちが自分の中に生まれてきたこと、それが「運動から離れる」という趣旨の上申書を書くようになっていったことが、その後の〈流される〉第一歩だったというのです。
壺井さんは、戦後武井昭夫吉本隆明から、「戦争協力」を非難されました。たしかに、1920年代の半ば過ぎに生まれたかれらにとっては、壺井さんのような、内心にいろいろなものを秘めてはいても、表面は時代のなかにはいってしまった存在は、批判の対象ではあったのでしょう。
けれども、そういう観点から言えば、武井や吉本は、宮本顕治宮本百合子の生き方を評価しなければならないはずです。しかし、周知のように、かれらは宮本顕治たちのありかたも、「観念の産物」として批判します。
そう考えれば、武井や吉本たちの批判が、本来手をつなぐべきひとたちとの連帯を拒否し、自分たちのつごうのいいようにふるまえる場がほしかったのだということになるのでしょうか。かれらの手中に籠絡されたのが、中野重治佐多稲子だったのでしょう。適当にもちあげることで、かれらの自尊心をくすぐったということかもしれません。
その代わりに、壺井さんは攻撃されたのかもしれません。ほとんどの人は、戦時下の時代を、韜晦しながら生きたのでしょう。それを受け継ぐには、韜晦せざるを得ない世の中にしないために、それ以前から状況をつかんで、対応していくことであるにちがいありません。アナキズム詩人として、かつては壺井さんたちとともに詩をつくっていた萩原恭次郎が、戦争協力の詩を書いていきながら、生涯を終えてしまったことをみると、率直に生きること自体が、たたかいなのかもしれないとも思えるのです。