分相応
今年の共通テストの小説問題は、加能作次郎の「羽織と時計」でした。複数の情報を組み合わせるという共通テストのコンセプトで、宮島新三郎の文芸時評を組み合わせて出題されました。主人公(たぶん作者でしょう)が元同僚から反物を贈られます。その同僚が病気で休職していたときに、主人公がいろいろと世話をした(というほどでもないように読めますが)したお返しということだそうです。主人公の紋を入れた反物で、かれはそれを羽織に仕立ててもらうのですが、それが立派過ぎて逆に主人公にとってはプレッシャーになってしまうという話です。
話の小道具が出来すぎているので、宮島は時評で、いままでの加能の作品らしくないという評価をするというところが、問題文としてとられました。
身の丈にあったことをするというのは、結構難しいもので、それを体現したような作品ということができましょうか。100年前の会社の中でのつきあいのあり方というのも考えさせてしまいます。
加能というのは、てっきり加賀と能登を組み合わせたペンネームだと思ったら、本名なのですね。石川県出身なので、これもちょっとできすぎているようにみえます。
日常の延長
今年のセンター試験の小説は、原民喜の「翳」という作品です。戦時中、妻を亡くした主人公が、訃報の通知を旧知の人物に送ったが反応がない。いぶかしんでいると、その人の父親から来信があって、息子はすでに亡くなっていたというのです。そして、主人公はその彼とのかかわりを思い起こすというところです。
その彼は、新潟県から都会に出てきて、魚屋で御用聞きをしている。まだ入営前の青年で、教練に出ては、そのときの様子を楽し気に再現しているような若者だったのですが、兵役につき、除隊後は満洲にいたのですが、病を得て帰郷し、まもなく亡くなったのです。
中等学校に進学すれば、授業の中に教練があって、それが卒業に必要な科目だったわけですが、この青年のように、進学しない人は、居住地で教練をうけていたのですね。当たり前のことでしょうが、こうして書かれていることで、当時のふつうの人たちの生活のありようがみえてきます。徴兵検査は本籍地で受けますから、かれはそのときは新潟に帰ったのでしょう。さりげない描写に、生活の実態はうつるのですね。試験問題とはいえ、いいものを出題者は選んでくれたようです。
ゆとりをもって
大相撲のけが人が多いことがよく指摘されます。力士の大型化は当然原因のひとつでありましょうが、もうひとつの要因として、土俵の狭さがあるのではないかと思われます。
もちろん、1946年のように16尺にしろとはいいませんが、土俵周りの空間の狭さが、転落にまつわるけがを多くしているようにみえます。若元春など、いい例でしょう。高さは、審判がいる位置を考えると現状でいくしかないでしょうから、思いきって、いまのたまり席あたりまで土俵と同じ高さまでかさあげするのです。柔道の試合場をイメージしてくれればいいでしょう。
それだけでも、けがは劇的に減るのではないでしょうか。
山登り
ごぶさたしていました。
即位にあたって放映された映像のなかに、山に登っていらっしゃるものがありましたが、それを見て、窪田精の作品、「霧の南アルプス」(『民主文学』1988年1月号掲載、のち同題の単行本(新日本出版社、1994年)に収録)を思い出しました。作者と同年の主人公が、20歳で入営直前に北岳で亡くなった同級生の慰霊碑をたずねて登山する途中に、当時まだ昭和天皇在位時で、皇太子にもなる以前の現天皇の一行に出くわすというストーリーです。現天皇が20代後半のころですね。主人公は1921年生まれで、徴兵検査で合格して現役兵として入営するのは1941年の年末から1942年にかけてのことです。その同級生はそのときに山で遭難したわけです。