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北原白秋の『フレップ・トリップ』(岩波文庫、2007年、親本は1928年)です。1925年の夏、彼が樺太を旅行したときの記録です。
萩原恭次郎を思わせるような、ことばを弾丸のようにつかった描写とかもみどころなのでしょうが、そうした表現を使う、白秋のある種の能天気さも、みどころともいえるのかもしれません。
革命ロシアから亡命してきた、いわゆる白系のひとたちも、南樺太には住んでいるのですが、そうした人の暮らしに対しても、表面をなでているように見えますし、原住の先住民族のひとたちの描写も、なんだかなあという感じがします。
植民地の現状いかにという種類の文章ではもともとないのですし、それを期待するのが野暮なのかもしれませんが、海豹島のオットセイの大群を、関東大震災の「被服廠」になぞらえるというのも、ちょっとあんまりではないかとも思うのです。

『文藝』の特集は桐野夏生です。どうも、こういうのは苦手で、『メタボラ』を読んだときも、作者が登場人物をちっとも大切にしていないで、「こいつらばかだろう」と読者に教え諭しているような感じがして、読むのがものすごく苦痛で不快なものだったのです。部分的な若者の労働現場を書いたからといって、評価できる作品ではないと思います。もちろん、登場人物を見下すところが、桐野作品の魅力だというのなら、どうぞご自由にといいたくなります。ほかの桐野作品は知りませんから、「違うぞ」といわれるかもしれませんが、こんなものしか書いていないのなら、義務的に読まなければならない限り、読みたくはないですね。