青春

青木陽子さんの『雪解け道』(新日本出版社)です。
1967年に、北陸のある大学に入学した女子学生の、4年間の軌跡を追った作品です。生駒道子という主人公は、その大学の国文科の学生で、当時の学生運動の渦中にひきこまれていきます。その大学でも、お定まりのように、革マルだの中核だのというセクト集団があらわれるのですが、主人公は、サークルの関係で民青の組織にくわわっていきます。その中での葛藤が描かれます。
この作品、北村隆志さんは文芸時評で、「民青は出てくるが共産党は出てこない」という趣旨の論をたてましたし、新船海三郎さんは、当時を共有した(彼は大阪市立大だそうですが)立場から、主人公の生きかたと作者の視点とのかかわりで論を発表しました。それぞれに道理はありますから、それとは別の観点から少し考えたいと思います。
この作品に限らず、民主主義文学の分野での、学生生活を描いた作品は、考えてみると、ほとんど自宅外学生なのです。稲沢潤子さんの『冬草の萌え』や『青麦』とか、燈山文久さんの『青の旅人』とか、亀岡聰さんの京都を舞台にした「そこに君がいる」とか、旭爪あかねさんの『世界の色をつかまえに』もそうですし、浅尾大輔さんの「ソウル」の主人公の名古屋での学生時代もそうですし、渥美二郎さんの主人公の学生時代も東京での自宅外でした。自宅生を描いたものとしては、草薙秀一さんの『射光』と、吉開那津子さんの『葦の歌』くらいでしょうか。学生の段階での、家庭から離れて自分をみつめ、社会とのかかわりを考えるということが、このように自宅外通学生を題材としたということもあるのでしょうし、自治寮のような環境は、より社会をみつめさせる契機にもなったのでしょう。
逆に、それだからこそ、生活のいろいろな局面での行き方も問われるのだと思います。青木さんの作品でいえば、彼氏の食事をつくったり、洗濯を一緒にしたりするという、主人公の生活を、それとして肯定できるのかというところは、新船さんの指摘ではないですが、もう少し、そうした選択をした主人公を、きちんと描くべきだったかもしれません。そうした生活を決意するにいたるプロセスは、単に暴力集団の襲撃から身を守るという側面だけでなく、彼女の中にある、彼との生活を大切にしたいという欲求の自覚とかかわっているのではないかと思うからです。傍からみれば、彼氏の下宿にころがりこむ女子学生と、主人公の行動はそんなに変わりはないのでしょうから。