2013-06-01から1ヶ月間の記事一覧

歳月

山口勇子『海はるか』(新日本出版社、1988年)です。 表題作は、1984年に1年間『女性のひろば』誌に連載された長編で、それといくつかの短編があわさって1冊の本になっています。 表題作は、当時の東京で、いろいろな社会活動にたずさわっている主人公が知…

おそれの後

赤坂憲雄さんたちの『被災地から問うこの国のかたち』(イースト新書)です。 福島に住む玄侑宗久さん、和合亮一さんも加わり、福島をどう考えるのか、そこから見える国のありようはいかがなものかを、三者三様に語っています。 かつて、〈チェルノブイリの…

自家薬籠中

揖斐高訳注『頼山陽詩選』(岩波文庫、2012年)です。 日本漢文の文庫本はそんなになく、岩波でもこれと柏木如亭の作品がいくつかあるくらいでしょうか。 頼山陽が、ふたたび脚光を浴びたのは、1960年代の後半に、富士川英郎や中村真一郎が江戸の漢詩人たち…

交代

酒井忠康さんの『時の橋』(小沢コレクション、1987年、親本は1978年)です。 維新期に活躍した浮世絵作者、小林清親についての文章を集めたものです。幕府から薩長政府への変換期に、東京や横浜のひとびとはどのように対応していったのかが、清親の絵からに…

途上

島崎藤村『嵐・ある女の生涯』(新潮文庫、1969年)です。 これは、1920年代の作品をあつめた、後期短編集ともいうべきもので、特に作者自身の家庭をモデルにした作品は、今のことばでいえばシングルファーザーとして4人の子どもを育てた父親の姿を描いたも…

距離感

島崎藤村『旧主人・藁草履』(新潮文庫、1952年、親本は1907年)です。 藤村の初期作品で、小諸にいたころの経験を主にした作品集だということです。世紀の変わり目のころの、長野県の農村の光景ではあるでしょう。 けれども、やはり、そこに、作者の目が現…

けた違い

池内紀さんの東プロシア紀行『消えた国 追われた人々』(みすず書房)です。 東プロシアというのは、もともとはプロシアの中心だったはずの場所なのですが、ドイツ統一のためにプロシアがベルリンを中心として統一国家をつくったために、辺境となってしまっ…

またぐ

佐伯一麦さんの『光の闇』(扶桑社)です。 2008年から2012年にかけて書かれた連作小説を中心にした小説集です。この連作は、小説家である自分がめぐりあう、さまざまな欠損を抱えた人たちとのかかわりを描きます。耳がきこえなかったり、目がみえなかったり…

共同

大久保利謙『明六社』(講談社学術文庫、2007年、親本は1976年)です。 文明開化の時代、新しい国づくりのためには、知識人たちに国家のために働いてもらう必要がありました。それこそ、内戦に勝利して政権をとった新政府側には、自分たちの政権が正統性をも…

発展段階

田中英道さんの『日本美術全史』(講談社学術文庫、2012年、親本は1995年)です。 日本の美術を、政治の時代区分ではなく、〈アルカイスム〉や〈マニエリスム〉〈バロック〉のような、様式区分を使って叙述します。それによって、西洋で使われている様式が、…

習合

伊藤聡さんの『神道とは何か』(中公新書、2012年)です。 日本の土俗的なものが、「神道」として、組織化されるプロセスをたどるもので、中公新書らしい、手堅いものになっています。 神仏習合によって、神も仏にすがって成仏をめざす存在として体系化され…

解放

中尾佐助『現代文明ふたつの源流』(朝日選書、1978年)です。 照葉樹林文化と硬葉樹林文化の比較の話で、果樹と穀物の問題とか、住環境における庭の位置づけとか、どちらかというと、雑多な話題のなかに、いろいろと考えてゆくものという感じのものです。も…

いったいいつから

『何でも見てやろう』から、どうでもよいようなエピソードを一つ。 ロンドンに行った著者は、地下鉄に乗ります。そこで、地下に降りるエスカレーターが、人が2列になれる幅があって、そこを、左側の列がそのまま運ばれてゆくひと、右側の列は急いで降りる人…

一貫

小田実『何でも見てやろう』(河出文藝選書、1975年、親本は1961年)です。 あらためて、死去で中断した『河』にいたるまでの小田さんが、ひとつことを貫いていたという感覚があります。これが2000年に書かれていたのだといわれても、納得してしまうようなと…