いいのかそれで

週末には、一週間のニュースをふりかえるような番組がテレビにあります。その中では、アメリカ合衆国の大統領選挙の予備選挙の話題が多いようです。。
このシステム、立候補を表明した人たちが、各州の党員集会だの、予備選挙だのでだんだんとふるい落とされていくシステムなのですが、そのときの基準が、『対立党に勝てるか』というのになっているようにみえます。もちろん、ひとりしか勝者のいない選挙ですから、それを考えるのはある意味当然なのかもしれませんが、その過程で、政策が当たり障りのないものに丸めこまれてしまうのではないかという感じがどうしてもします。新しいことをしようとしても、既成の支持層にきりこめないと、その段階で選択の余地がなくなってしまうということにもなるのではないでしょうか。
さらには、まだ今回はあまり出ていないようですが、ネガティブ・キャンペーンになってしまうこともありそうです。涙を見せたら終わりだとか、テレビ討論での印象が決定的だとか、どうもこうした形の選挙はよくわかりません。

わからないといえば、夜のニュースで、弁護士が集まって、裁判員制度に対応するための勉強会を開いたというものがありました。アメリカから講師を呼んだとかいうのですが、それが、内容よりも「裁判員に与える印象をよくする」ための戦術にしか見えません。以前、ここで西野喜一さんの本について書いたことがありますが、裁判が内容ではなく、印象で勝負するようになったら、それは扇動にしかならないのではないでしょうか。西野さんの危惧が、現実のものになりそうです。刑事裁判はあだ討ちではないはずなのに。

長いものを読んでいるので、本の紹介になりませんが、ご了解を。