つながる記憶

『すばる』の2月号を拾い読みしているのですが、モブ・ノリオさんの裁判傍聴ならずの記もなかなか興味深く、最近の『すばる』が、いろいろと試みているような動きとあわせて考えることができます。
また、井上ひさしさんと沼野充義さんのチェーホフをめぐる対談もあります。その中で、「かき」(牡蠣のほうです)という短編を紹介していたのですが、それで記憶の空白が埋まったような感じがしました。
子どもの頃、家に学研の『少年少女世界文学全集』(正確なタイトルは覚えていないのですが)のシリーズがありました。全部で24冊で、『ロビンソン・クルーソー』やら『宝島』とか、ウェルズの『宇宙戦争』だとかいうのからはじまって、日本のものも『坊っちゃん』とか『二十四の瞳』とか、『古事記』や『今昔物語集』の現代語訳まであるという、けっこう豪華なラインアップのものでした。
そのとき、短篇集があって、いろいろと読んでいたのですが、この、「かき」という作品があったのでした。カキを知らないこどもが、親に連れられてレストランにいって、なんだか解らないものだから親に説明してもらうのですが、そのことばからいろいろな想像をめぐらせ、結局出されたカキを目をつぶって殻ごと食べてしまうという、ストーリーだけは印象に残っていたのでした。
誰の作品だかしらないまま今日にいたっていたのですが、この対談ではじめてチェーホフのものだと知ったのです。

『文学界』では、池澤夏樹さんの選んだ世界文学全集をめぐっての鼎談がありますが、こうした試みは大切なのですが、もっと光をあてられてもいいようなものが、特に中国や朝鮮半島の作品にあるような気がします。残雪さんしかいないというのは、もったいない。