前車の轍

昨年事故で亡くなった、ハルバースタムの『ザ・フィフティーズ』(新潮OH!文庫、金子宣子訳、2002年、原著は1993年、親本は1997年)です。
なにせ、全3冊、総計本文1356ページと長いので、けっこう読むのに時間がかかってしまったのですが、ここで描かれた1950年代のアメリカの姿は、けっこう今の日本と通じるものがあるようにも感じます。
政策の似通った「2大政党」が、小選挙区で争ったときには、ネガティブキャンペーンに堕してしまうこととか、都心部から郊外へと、人びとが一戸建ての家を求めて移動していくことが、女性の専業主婦化を招き、戦後のアメリカはかえって女性の社会進出が抑えられたとか、テレビのクイズ番組での「ヤラセ」が横行していたとか、GMが「よい製品をつくる」ことよりも「ウォール街での評判」を重視したことが凋落のはじまりであったとか、そうした社会の側面は、けっこう考えさせるものがあります。
それとともに、1950年代のアメリカが、グアテマラの「クーデター」のシナリオをいかに練ったかとか、ベトナムや朝鮮にどう介入していったのかとか、ソ連上空のU2機をどのように飛ばしていたのかとか、なによりも原水爆弾道ミサイルをどう開発して、その結果たとえば第五福竜丸がどのような被害を受けたのか(ちゃんと福竜丸が打電しなかったことが、傍受されることを恐れたからだと、きちんと書いてありました)とかのような、アメリカの帝国主義的な政策のありようも追求しています。
さらには、南部での公民権運動につながる、当時の白人たちの意識と、その中でたたかっていく黒人たちの姿は、アメリカ社会のもつ根深い『差別』の状況を記して、その深刻さに驚いてしまいます。この本に紹介された、ある黒人少年の殺害事件があります。シカゴから南部の町にやってきたその少年は、ある店でささいなトラブルを起こして、白人青年によって殺害されます。しかし、裁判は被告に無罪を宣告するのです。この話は、何年か前に、小林多喜二を記念するシンポジウムがあったときに、そこで報告をしたアメリカの研究者によって紹介されたエピソードであったことに気がつきました。その研究者は、小林多喜二の虐殺と、その黒人少年の殺害とを、並べて考えていたのです。
このように、ほかにも読みどころがあるものなので、長いものではありましたが、じっくりと向き合うことかできました。これからの日本の進みゆきを考えるときにも、参考になるのではないでしょうか。