重荷

山中恒さんの『戦時児童文学論』(大月書店、2010年)です。
小川未明浜田広介坪田譲治の3人の児童文学者が、戦時下にどのような作品を書き、どういう発言をしていたかを拾ったものです。
戦時下の、作家やジャーナリストの出処進退に関しては、このところ実証的な調査が進んできていて、いろいろなことがわかってくるのですが、こういうことを調べることに対して、よくきく「弁解」や「擁護」の発言として、『その時はそれしかなかったのだ』的な物言いがあらわれてしまいます。
もちろん、だれもが小林多喜二や鶴彬みたいに、死ぬまで抵抗できるとも限りませんから、何かしらの〈きず〉は負うのでしょうが、だからといって、〈国民なら国が戦争しているなら協力するのはあたりまえ〉とは言い切れないように思います。それこそ、〈アウシュビッツの看守は命令を遂行しただけだから〉というのと、同じことになりかねません。そうならないためにも、〈公務員なら時の権力者のいうことに従うのは当然である〉ことを〈組織のマネジメント〉といいはるような人物に、権力をもたせるのは恐ろしいことだと考えなければならないのでしょう。