余計な一言

オックスフォードの多喜二シンポの本を手にいれました。
和文タイトルは『多喜二の視点から見た〈身体〉〈地域〉〈教育〉』で、発行は小樽商科大学出版会です。
じっくりと見ているわけではないのですが、北村隆志さんの報告をみて、ちょっとびっくりしました。241ページです。

近代文学の中では珍しく、小林多喜二はすぐれた物語作家であった。プロレタリア文学のなかでも宮本百合子中野重治は明らかに私小説作家であり、ストーリーテラーではなかった。それに対し、多喜二は自らの非合法生活の体験を大胆に盛り込んでいる「党生活者」ですら、警察に追いつ追われつのスリリングな冒険小説のように読める」

北村さんが、「私小説」よりも「ストーリーテラー」のほうがすきそうなことは、ひごろの言動のはしばしからも感じ取られはしているのですが、「若い世代のための宮本百合子入門」で手塚英孝賞を受賞した人の発言としては、軽率ではないでしょうか。

(補記)
私は、北村さんのように、『ストーリーテラー』と『私小説作家』を対立させる考えにはもともと否定的ですから、揚げ足取りをやっているとは思わないでください。