つなぐもの

尾西康充さんの『戦争を描くリアリズム』(大月書店)です。石川達三丹羽文雄田村泰次郎が、戦争にどのように対したかを考えています。
なかでも、石川達三への論考がまとまっています。前に、各地の多喜二祭での諸氏の講演をまとめた『闇があるから光がある』(学習の友社)にも、尾西さんは石川達三小林多喜二との関連を、〈移民〉をキーワードにして追求しています。
ここでも、石川達三が「蒼氓」で描いたブラジル移民の姿と、多喜二の描いた北海道に流れてくるひとびととの共通性を見ています。プロレタリア文学運動が運動としては壊滅した後に、社会の矛盾をみつめて描くにはどこに焦点をあてるべきなのかということにも、つながっていくのでしょう。ダム建設で沈む村をえがいた「日蔭の村」という作品も、石川にはありますし。
そして、「生きてゐる兵隊」が『中央公論』に掲載されたことから、編集者、雨宮庸蔵の存在に尾西さんは注目します。そういえばたしかに、小林多喜二も、徳永直も、文学運動の雑誌の書き手から、〈一般文壇〉に登場するようになる最初の作品は「不在地主」も「能率委員会」も、『中央公論』に掲載されたのでした。いろいろな動機はあったにせよ、新しい文学を生み出すための誌面を、雨宮は提供したわけです。
そうした人の存在も含めて、世の中はつながっているのですね。