働きながら

刊行されたときに、少し書きましたが、『小林多喜二の手紙』(岩波文庫、2009年)です。
この前は、付録の充実についてふれたと思いますが、今回は少し内容ともかかわって。
ここにある手紙をみると、『蟹工船』を書いたときの多喜二は、銀行労働者だったということを改めて実感します。かれは、働きながら小説を書いています。そして、自分の住む、北海道にかかわった動きを、作品にしようとしています。作品も、文壇の雑誌に送るのではなく、自分たちの文学運動の雑誌に作品を出そうと努力しています。そして、自分と同じように、日本の各地で、たたかいながら書く人たちへの共感と連帯を意識しています(p137に引用された、多喜二が答えたアンケート回答があります)。四・一六事件の時には、検束されたようにも手紙で書いています。多喜二は銀行を解雇されました。自分からの退職ではありません。
何か、〈それで食べていけるのがプロだ〉という感覚が、どうも広がっているように思えます。民主文学のなかの人や、まわりで応援してくださっている人たちのなかにも、善意でいうのでしょうが、〈それで食べているわけではない〉とか、〈しろうと〉とかいうような趣旨のことばをきいたりもします。
では、「蟹工船」の多喜二はどうでしょう。かれは銀行員として〈食べて〉います。文壇ではなく、文学運動の雑誌に作品を送ります。でも、「蟹工船」を書いた多喜二は〈しろうと〉でしょうか。
もちろん、当時といまの文学状況とがまったく同じとはいえません。けれども、今の文学運動も、当時と同じように、全国の、たたかいながら、はたらきながら、文学をこころざそうという人びとが集っています。そこを自分たちも、周りも、もっと考えることがあるように思います。
〈そんなことをいうあんたは、どういうものを書いているんだ〉と問いかけられることはいうまでもないのですが。