歴史の流れのなかで

山本秀夫さんの『橘樸』(中公叢書、1977年)です。
橘樸(たちばな・しらき、1881‐1945)は、両大戦間の日本の中国に対する対応をどうすべきかについて、石原莞爾とはちがった角度で考え続けたジャーナリストです。もちろん、東亜のなかで、日本が指導的な立場であるべきだという意識をもっていた点では、その当時の人として仕方がないとは思いますが、中国の農村社会に基づいた新しい社会をつくろうという観点からの批判には、無視はできないものがあるように感じます。尾崎秀実や細川嘉六たちと一緒にものを考えていた時代もあったという、ある意味異色の人のようにも見えます。
歴史はくりかえしはしませんが、似たような様相をみせることはあるようです。例の有名な『一度目は悲劇、二度目は茶番』ではありませんが、「満洲」に新しい雇用の場をつくろうと、事変を後押しした人たちが、当時たしかにいたわけで、あたらしい「満洲」があればいいと、ひそかに今思っている人もいるのではないかと考えると、この時代の人びとの動きは、もっとよく考えていかなければいけないのでしょう。