設定の重み

長山高之さんの『夜霧のナロー』(新日本出版社、1982年)です。
表題作は、1974年に『文化評論』に掲載されたもので、その年の文芸作品募集に応募したものだそうです。あと、「夏の日に」という長編も併載されていて、こちらは1981年に『民主文学』に連載されたもので、長編小説の募集に応募したものだということです。
表題作は、ナローゲージと呼ばれる、軌間762mmの電車(いまは近鉄の内部線が数少ない残存路線だそうです)が廃止されることになり、その最終電車を運転するベテラン運転士を主人公にした作品です。時代は1970年ごろでしょうか。
どこか架空の城下町なのでしょうが、国鉄の駅から市街地を抜けて、山間の温泉場までの路線なのですが、本には、しっかりと、その「地図」が載っています。それにあわせて作品を読み進めていくと、路線の姿と、そこにこめられた人びとの生活が浮かんでくるようになっています。基づくところはあるのかもしれませんが、これだけ精密に設定されることで、状況が浮かび上がるという、設定の力を感じさせます。
もう一つの「夏の日に」は、高知県を走る電車(さすがにモデルが特定できるので、会社名だけは仮構のものにしていますが)会社に勤める若者を描いています。ときは1943年から1945年にかけてで、大阪に丁稚奉公していた主人公が、店をたたむことになったので、高知に帰郷し、そこで電車の車掌から運転士になっていくのです。
こちらも、当時の時代背景と、高知という場所のすがたをきちんと描いているので、作品におくゆきがうまれています。
きちんと、時間と場所を設定することの大切さを感じられる作品集でした。
長山さんはもう80歳を越していらっしゃるので、新しい作品をのぞむのはもう難しいのかもしれませんが、この作品を書いたことで、しっかりと足跡を残したといえるのではないかと思います。