記憶をうけつぐ

御庄博実詩集』(思潮社現代詩文庫、2003年)です。
8月号の『民主文学』の右遠俊郎さんの小説に紹介されていたので、この方のことを知ったのですが、広島で被爆(残留放射能です)し、その後医師として、水島コンビナートの公害問題にも取り組み、その後は広島で被爆者の治療にあたっているのだそうです。本名の丸屋博での著作もあるそうなのですが、今回は詩人としての仕事をまとめたものです。
被爆体験を文学にすることのむずかしさ、というよりも、ずっと前に竹西寛子さんの『管絃祭』を読んだときにも考えたのですが、投下直後の惨状を描くという形もあれば、その後の生活を記すことがあり、また、それ以前の「失われた日々」に注目するという形もあるでしょう。そこに、さまざまな記憶が語られ、それが現在に続いていくということでもあるのだと思います。
御庄さんは「組詩『ヒロシマ』」で、そうした過去と、いまも被爆の後遺症に苦しむ患者さんを治療する現在とを作者がゆききしながらうたっています。そういうつながりをきちんと知っていかなければならないのでしょう。そういう記憶をうけついでいくことが、核兵器を使いたがる人たちに対しての批判にもなるのせしょうから。