武器として

河出の全集のことですが、金達寿の「朴達の裁判」を紹介する池澤さんの文章のなかに、「左翼の文学には笑いが少ない」という文言がありました。
そうでないとはいえないのですが、霜多正次さんの「宣誓書」という作品で、米軍占領下の沖縄で、立法院議員たちが議会で述べる宣誓書づくりに苦心する職員の姿とか、そうした〈笑い〉を呼ぶものも、なくはない、というところでしょうか。
飯沢匡さんに『武器としての笑い』(岩波新書、1977年)というのがあり、出て間もなくのころに読んでおもしろかった記憶があるのですが、そこでも、戦後のラジオ〈日曜娯楽版〉の回想など、飯沢さんの面目躍如というところがありました。
〈笑い〉というのは、本質的に、強いものへの批判精神を秘めているということはいえるでしょうから、そうしたものも、上手に生かしていくだけの、心のゆとりも必要でしょう。たとえば二重被爆の山口さんを笑った番組がどこかの国であったそうですが、そこからは、寒々とした精神しか感ぜられません。その意味で、まだまだ勉強が必要です。