残し方

高瀬毅さんの『ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」』(文春文庫、2013年、親本は2009年)です。
被爆遺跡になる可能性のあった浦上天主堂が、どういうことで再建のみちをすすんだか、その結果遺構が失われてしまったいきさつを追ったものです。
長崎の市長や、浦上の司祭の人たちがアメリカにわたり、その結果遺構をなくしていく方向へと考え方を変えてゆく、そのようすを追跡していきます。その結果、長崎は広島のように世界に核兵器の被害を訴える都市とは必ずしもいえなくなってしまったのだというのです。
それだけ、核兵器の被害の実相を隠しておきたい人たちがいて、そのために天主堂は再建されたということになるのでしょう。
著者は、文庫版のための追記のなかで、震災や原発事故の遺構との類似性を指摘します。一度消した遺構は、よみがえらないのだと。東浩紀さんたちが、福島第一原発を、除染が進んで訪れることが可能になる段階で、ダークツーリズムの拠点にしようという動きをはじめていますが、負の遺産をそれとして認識して、残すために必要なことを考えなければならないのでしょう。既に鹿折唐桑の駅前にあった船は、解体されているようですから。