搦め手

大庭みな子『浦島草』(講談社、1977年)です。
3か月ほど前のことですが、『群像』に初期作品として、作者が学生時代に書いたガリ版刷りの雑誌に発表した「痣」という作品が掲載されました。そのとき、夫の大庭利雄さんが、作者の被爆体験をベースにした作品であるという説明をされていたので、そこから連想して、『浦島草』を出してみたのです。
ここでは、被爆が直接描かれているわけではありません。その日、登場人物の一人は、郊外の農家に買出しに出ていて、直接の被爆を免れています。しかし、市内にあった家は焼け、姑はどうなったかわからない。
それから約30年後、広島湾の似島で、被爆者とみられる遺骨が出土したというので、彼女たちはその島を訪れます。もちろん、直接の手がかりが得られるわけではないのです。
そうした形で、ヒロシマの記憶を持って生きる人物を、男女の関係の錯雑した中にほうりこむことで、作者は自分なりにヒロシマを描こうとしたのでしょう。竹西寛子さんの『管絃祭』とはまたちがった形での、原爆へのアプローチなのでしょう。
この作品が発表された当時は、ほとんど同時代文学には触れていなかったので、反響がどのくらいだったかとかの記憶は実はありません。そのためもあって、作者が被爆経験をもっていたとは、つい最近まで知らなかったのです。知っていたら、大庭作品への接触のしかたが変ったかどうか。いや、どっちにしろ、男女の深いところがわからない時期には、読んでもわからなかったかな、という気はします。