わかるかどうか

繁沢敦子さんの『原爆と検閲』(中公新書)です。
1945年9月に、ヒロシマナガサキに入った、米軍とともに行動していた記者たちが、どんな記事を書き、どう発表されたのかをさぐっています。最初は被害の実相をそれなりに書いていたものが、だんだんと残留放射能にかんして過小評価するような表現になっていくなどの、規制がはたらくようすが記されます。
どうしても、戦争終結のためにはやむをえなかった、というような刷り込みがされていれば、おのずと書くことにもある種のフィルターはかかるでしょう。そうした先入観をのりこえるためには、事実をきちんと認識し、表現することが必要です。そうしたことの大切さを、忘れないようにしなければいけません。
GHQの検閲を批判する人も最近ふえてきましたが、当然、それ以前は日本政府が検閲をしていたわけで、書く人にとっては、検閲自体が新しくあらわれたわけではありません。そういうことも、きちんと押さえなければいけませんね。