無差別

宮下誠さんの『ゲルニカ』(光文社新書)です。
ピカソが、この絵に対してつくった多くの習作も含めて紹介して、「ゲルニカ」の意義を考えるという、新書にしてはけっこうぜいたくな本です。
空爆というものが、地上の戦闘よりも理不尽さを感じさせるのは、上空からは相手の実態が見えないというところにあるのでしょう。「誤爆」という名で、地上での被害を正当化する論理もあれば、実は「味方」を対象としていたことがあとでわかるというケースも、カート・ヴォネガットの経験したドレスデンとか、アメリカ軍兵士も被爆したヒロシマの経験が物語っています。
そうした理不尽さを表現した、先駆的な作品として「ゲルニカ」を位置づけようとする著者の意図は、鋭いものがあります。
もちろん、相手が直接見えれば戦っていいとうわけではありませんが、人間の想像力というものは、直接接触できないものに対しては弱くなるのが自然ですから、その意味では、空爆というのは、乱暴な発想であることにはちがいないでしょう。
そう思うと、1950年代に、アメリカが「空爆」を想定した訓練を学校で行っていたというのは、おどろくべきことではあるのでしょう。ある程度は本気でいくさを考えていたのですから。