感覚あれこれ

このところ、『図書』(岩波書店)にけっこうおもしろいものが多いのですが、丸谷才一さんが、平野謙について書いています。彼が作家の個人的な生活についていろいろと書くのは、戦前の左翼運動時代の苦い思い出を引きずっていたからだというのですね。
平野の評価はともかく、『図書』のような出版社のPR誌ですから、こうした短いコラムのような文章で形をととのえるというのは大切なことです。
そうでなくても、最近の書き手は、長く書くことが何か〈好き〉なようで、短いコラムや書評、時評のような文章を軽く見る人がいるのは残念です。ふっと連想というわけでもなく思い出したのが、花田清輝の『さちゅりこん』に載っていた、架空対話形式の時評のような文章で、花田が『新日本文学』の編集長をやっていた時期のものです。そこで、宮本顕治の論文が俎上にあげられ、架空対話者の片方は、ルナールのヘビ(ウワバミ)について書かれた文章を引き合いに出して、〈長すぎる〉と断ずるのです。大西・宮本論争の中の一つのエピソードというのでしょうが、長すぎるから載せられないという編集側に対して、宮本顕治はきちんと短くして再提出したのです。それでも花田は長く感じたので、別の媒体を利用して(編集長時代、花田は『新日本文学』には書いていません)、からかったということでしょう。