花鳥風月

講談社文芸文庫の『柳田國男文芸論集』(2005年、文庫新編集)です。
柳田は、田山花袋と仲がよく、彼の「重右衛門の最後」を高く評価していて、そのために逆に、「蒲団」のような、作家の身辺記録のような作品に対しては、とても辛い評価をくだしたようです。それが、柳田を民俗学の方向に進めたようなところもあるとかいうことです。
そうした、花袋や島崎藤村との交友を書いたものも、この文庫本には収録されているのですが、それ以外にも、日本の文学について考える文章もあります。
「雪国の春」(1926年)も、その一つで、京都の風土にのっかった「文学」が、なぜ日本列島の、本来事情をことにする地域にも同じ季節感覚で流れていったのかを、考えています。
それだけ、「中央」へのあこがれはするどかったのかもしれませんし、逆に言えば、同じ暦を頒布していく中央集権国家の力もあったのかもしれません。各国の『風土記』を一気に完成させたりするなど、8世紀の日本国の力は、決して弱いものではありません。そうした力は、今もある意味では続いているのかもしれません。「桜」の開花をめぐる報道をみても、日本列島を流れる「統一した意識」の強さも感じてしまいます。
柳田は、彼の文章らしい穏やかさで、問題の所在を指摘しています。そこに性急な解釈をしないところも、柳田の文章なのだなとも思うのですが、それだからこそ、今読む側としては、提出されている問題について、ときどきふりかえる必要があるのでしょう。