知ってそうでも

佐多稲子『私の長崎地図』(講談社文芸文庫、2012年、文庫オリジナル編集)です。
表題作は1948年の作品ですが、文庫化にあたって、著者の長崎にかかわる作品やエッセイをまとめました。著者の出身地である長崎で送った少女時代の感想や、その後の原爆被害を受けた長崎のありように触れたものなど、さまざまな文章が含まれています。
その中に、1980年代に書かれた、「小さい山と椿の花」という文章があります。孫と長崎を訪れる話なのですが、そのなかで、著者の文学碑とならんで立っている銅像が、日本の活字の創始者といわれる本木昌造だということを著者が知るところがあるのです。著者は本木のことについて、それまで知らなかったとして、いろいろと調べたようです。ところが、その調べのなかに、徳永直の『光をかかぐる人々』の話が全く出てこないのです。同じプロレタリア文学の陣営にいたのですから、内容の詳細はともかく、徳永が戦時中に活字のことについて調べて本を出していたことにまったく無関心だったとは思いたくないのですが、記述では本当に知らないようなのです。そういうものなのだったのでしょうか。