今ならば

『図書』2月号の編集後記的文章「こぼればなし」で、ペロポネソス戦争を記述したトゥーキュディデースを引いて、現代のできごとを普遍的にとらえる歴史意識をもつ必要性を述べています。岩波書店らしいといえばいえるのですが、そのようなスケールの大きさ、時間的にも、空間的にも広いとらえかたの必要性には、同感します。
しかし、ひるがえってみて、今の日本のとくに文学の世界で、そうした視野にたつジャーナリズムがどのくらいあるのかとも、思ってしまいます。前にも書きましたが、『民主文学』創刊以来46年以上の作品から1作も芥川賞候補にも選出されたことがない、講談社文芸文庫の短編アンソロジーにも『民主文学』にかかわった作家の作品はそれ以前の作品も含めて1作も収録されない、そうした状況にほんとうに何も感じないのだろうか、ともかんがえてしまいます。考えている人もいるのでしょうが、そうした声はほとんど聞こえてきません。
好みだったら、多様性を保障すればいいだけの話です。そんなことをいっているのではありません。