組み換え

高橋源一郎さんの『日本文学盛衰史』(講談社文庫、2004年、親本は2001年)です。
最近、高橋さんは、今の文学状況を、近代文学からのOSの切り替えという表現を対談のなかでしているらしいのですが、そうした考え方の端緒ともなった本ではないかと思います。
何せ、明治の文学者の話かとすなおに読んでいこうとすると、登場人物たちが20世紀末の日本の現実の中を生きている。石川啄木は「援助交際」の高校生とつきあってみたり、森鴎外はテレビのワイドショーをみながら品評をする妻と母との間で板ばさみになるし、田山花袋はアダルトビデオを撮ろうとして苦闘するというのです。作者自身も胃をわずらって夏目漱石と同じ病室に入院するというのですから、念が入っています。(もし本当に胃が異常事態にならなかったら、作品の展開も変ってきたかもしれません)
もちろん、それは単なるふざけではなく、横瀬夜雨のファンどうしの掲示板に啄木が「食うべき詩」の草稿をもって入室すると、周りから総すかんを食うという場面には、批評が成立するという場面での啄木の苦悩そのものなのですし、漱石の「こころ」が啄木をイメージしているという作者の説は、傾聴にあたいするものです。
そうして、現代性を導入することで、ある意味では当時の文学者の、世間とのたたかいがみえてくるのですし、今の若手作家たちの抱えているものとの比較もできてくるというのでしょう。
それが本当に「OSの切り替え」なのかどうかは、もう少し全体状況をみていかなくてはいけないのかもしれません。今の若い文壇の書き手たちも、そのうち年をとってくるのですから。