ひろい読み

芥川賞受賞作の楊逸さんの「時が滲む朝」(『文学界』6月号)をまず。
時間の経過がけっこう重要になっているので、逆に、それぞれのシーンの印象が少し散漫になっているようにも思えます。大学時代、日本に来た当時、というふうに、いくつかの作品に分けることもひとつの方法だったのではなかったかとも感じます。
朝日新聞で、「日本語以外を母語にした受賞者ははじめて」と読み取れる紹介記事が出ていましたが、李恢成さんはちがうのでしょうかね。

綿矢りささんの「しょうがの味は熱い」(『文学界』8月号)もあります。綿矢さんが、はじめて河出以外の文芸誌に出した小説なのですが、会社員の男性と同棲している大学院生の女性との、ふたりの心理をそれぞれの視点を交錯させて描いています。綿矢さんの作品は、いままで高校生の世界を描くのには成功していたと思うのですが、今回のは、登場人物が能天気なような感じもします。高校生の発想をひきずってそのまま社会人になったような雰囲気で、何かうまくおとなになりきれていないような男女ということなのでしょうか。それならば、『夢を与える』とも共通する面はあるのでしょうが、そこらあたりがうまく続かないと、この先、つらいかもしれません。