くるりくるりと

岩上順一(1907-1958)の『変革期の文学』(三一書房、1959年)です。
著者は、戦時中から文芸評論を書き始め、『横光利一』などの著書をもっていました。戦後は、新日本文学会の初代の書記長をつとめ、会創立当初の事務局的活動を地道に行っていました。しかし、1950年に『人民文学』が創刊されると、そちらのほうに移行し、いままで評価していた宮本百合子の作品を、否定的にみるようになります。その後、『人民文学』の人たちが新日本文学会に合流すると、ふたたび会員として活動したのです。
この本では、そうした戦後の文章で、単行本に収録されていないものを主に収めています。その中に、『人民文学』に発表した、「宮本百合子の生涯と文学」という、百合子批判の文章も収めているのは、編集に携わった人の、ある意味での良心のあらわれでしょう。たとえそれが、セクト的な観点を色濃くもっていたとしても、発表したものであるかぎり、それに責任を負うのだという姿勢は、大切なものです。
『人民文学』が、ある時期、百合子批判に代表されるような偏向をもったために、その後の新日本文学会の運動自体も、そうした方向に反対するのが正しいという名目のもとに、逆に偏向していくわけです。それが、組織的に、「専門文学者」という言い方で、実際には日本の各地で文学活動をやっている人たちを排除するような意識が出できてしまうのです。(逆に、いつぞやの北村隆志さんの『民主文学』の時評や座談会での、民主主義文学運動を「素人」として規定してしまうような、逆のゆれも出てしまうように、この問題はある意味では、現在までさまざまな〈誤解〉もひきずってしまっています)
プロレタリア文学運動の時代もあるのですが、戦後の文学運動自身も、もっといろいろと検討していくことがまだまだたくさんあるようです。