シュミレーション

日暮吉延さんの『東京裁判』(講談社現代新書)、雨宮昭一さんの『占領と改革』(岩波新書)と、占領時代をテーマにしたものを続けました。
過去の「思いこみ」にしばられずに、状況を事実に基づいて見極めようという姿勢から、どちらも書かれているようです。
占領軍の介入がなくても、日本は敗戦をきっかけに改革は可能だったのではないかとというのが、雨宮さんの意識にあります。戦勝国のほうが、かえって軍産官学複合体制を戦後も維持し続けたのだと、雨宮さんはいいます。そこが、議論の焦点となるでしょうし、1920年代の「平時」に戻るというのが、徴兵制のある国であり続けるとしたら、戦後の歴史も変っていくでしょうし、時代認識も違ってくるのかもしれません。
というのも、日暮さんの本によると、講和条約のあと、巣鴨に収監されていた人たちは、平然と家に帰ることができたり、出羽海一門が慰問にきたりと、けっこう「優雅」な生活を送っていたようなのです。木戸幸一など、「学習院の寮よりずっと楽」と言ったとか。そういうふうに、日本国がかれらを裁かないという状況のもとで、どのような改革が可能だったかは、考えなければならないのでしょう。そこには、竹内好が、中国は日本とちがって徹底的な改革をなしとげたという趣旨のことをいっていたと、どこかで見た記憶がありますが、そうした改革になった可能性も、否定はしきれませんが。
ただ、徳永直や佐々木一夫の戦後初期を描いた作品を読む限り、改革を徹底させまいとする勢力も、決して力を失ってはいないわけで、そうした勢力の消長をどう見るかということにもなるのでしょう。
その点では、議論は大いにあってよいと思います。