つながりの深さ

護雅夫さんの『李陵』(中公文庫、1992年、親本は1974年)です。
漢の時代、匈奴の捕虜となり、匈奴に仕えることになった李陵の足跡を追いながら、匈奴世界の漢人のありようをさぐっていきます。
そこで描かれるのは、匈奴に仕えた漢人は決して李陵だけではなく、そうした人たちは多くいたこと、そして、遊牧民族の社会の中で、一定の役割を果たしていたことなのです。
実際、陸続きということもあるでしょうが、いろいろな民族が、さまざまに行動範囲を広げながら、大きなつながりをつくっていったわけで、決して、匈奴なり、漢なりが、孤立していたわけではないのです。
著者の専門は、突厥と呼ばれた、唐の時代の北方民族なのですが、これはその後、西へ西へと移動して、アジアの西端、アナトリアの地に住み、トルコという国をつくるのです。そうした移動が、あちこちで行われていたわけで、そうした面から見ると、もっと人間は広い視野で社会をみることができるのではないでしょうか。
ところで、トルコでは、歴史はどのように教えられているのでしょう。アナトリアの地に住んでいた諸民族の興亡を語るのか、それとも鉄勒から突厥と呼ばれていた、トルコ民族の歴史を語るのでしょうか。どなたかご教示くだされば、幸いです。
日本でも、小学校の歴史から、縄文時代が消えているのも、いまの「日本国」との連続性がはっきりしないからなのでしょうが、そうした変な「純粋」さをありがたがるのがいいのかは、考えていくべきことでしょう。