姓名

9月23日に、北原耕也さんの「さすらいびとのフーガ」に関して、戸籍のことへの疑問点をここで書きましたら、ていねいな回答をいただきました。ありがとうございます。
それで、しばらく考えているうちに、またも疑問点が出てきたので、詳しい方にお尋ねしたいのです。
それは、名前のことです。
主人公の文泰くんのお父さんの名は、「泰元」です(よみは日本読みでも、朝鮮読みでもいのですが)。みてのとおり、「泰」という文字が共通しています。
ところで、中国では、「世輩」というシステム(これにあてるのは不正確かもしれませんが)があり、同じ世代に属する人には、一字を共通にするか、部首を共通にするというルールがあります。そして、世代ごとにそれを変えることによって、世代間の長幼の順をきめることができるというのです。18世紀の小説『紅楼夢』には、この原則が生きていますが、20世紀の中国でも原則が生きていることは、上田信さんの「中国人の歴史意識」(講談社『中国の歴史』第12巻(2005年)所収)に説明があります。そこでは、上田さんは、韓国でも同様の原理がありそうなことを書いています。
この原理にもとづくならば、親子が名の一字を共有することはありえません。問題なのは、韓国ではこの原理はどの程度現実味のあるものとして存在しているのか、この北原さんの作品で、主人公の父親が、この原理に真っ向からそむく命名をしていることは、民族のことを考えているこの父親として想定内のことなのか、ということなのです。
へたをすると、この原理に背く命名が、登場人物のリアリティにかかわってくるし、作品世界そのものも崩壊させてしまうかもしれません。
事情に詳しい方の、回答がいただけたら、幸いです。

(ちょっと追記−10月9日)
北朝鮮の指導者の一家は、たしかに先代の名の一文字を今の人がもっていて、さらに今の人の一文字を子どもが持っていますが、この家は例証にはならないかもしれません。この指導者一家が、伝統文化を破壊する意識で、わざとそうした命名をしている可能性もなくはないので。