否定の否定

石川日出志さんの『農耕社会の成立』(岩波新書、2010年)です。
日本古代史のシリーズで、旧石器時代から弥生時代までの状況をコンパクトにまとめています。
古代史の分野は、ある意味誰でも基本の史料を入手して考えることができるので、いろいろな説が出てきます。そうした文献上の知見と、考古学的な知見とを照らし合わせることで、いろいろなことがみえてくるのでしょう。
たとえば、志賀島で発見された金印にしても、偽作説があっても、寸法が正確に当時の中国の尺度とあっていることや、中国で出土したものと規格が同じであることが知られているので、偽作説は単なる『おはなし』でしかないというところまで、現在はいっているのだそうです。

そういうことはこの本であつかわれた時代でなくても、いろいろとあるのだと思います。
前にも少しふれた広開土王碑文にしても、かつて唱えられた参謀本部碑文改竄説はもう成立しませんし、明らかに倭国百済新羅を『臣民』にしたと、碑文では主張している(だから、王は倭国を打ち破り、新羅百済をもとの『属民』にしたのだと、功績をたたえているのです)ことも明白になっています。
無批判に〈大和朝廷任那日本府を通して半島南部を支配していた〉というのが虚妄であることは言うまでもないのですが、それを単純に〈朝鮮半島の分国が列島内にあった〉だの、〈騎馬民族が列島を征服した〉だの、〈九州王朝が存在した〉とか、そうした〈否定〉のレベルにとどまらずに、もう一段発展させていくことが必要なのだと思います。〈日本府〉問題についていえば、15世紀に、釜山・馬山・蔚山(この3ヵ所でよかったと記憶していますが)に〈倭館〉があって、そこの倭人が〈三浦の乱〉を起こしたという事件がありました。この〈倭館〉はたしかに日本からの出先の拠点ですが、これを理由に〈朝鮮王朝を日本が支配した〉といったら、物笑いの種にしかなりません。〈日本府〉も同じでしょう。現地の人びとの支配権を認めたうえでの、日本側の拠点だったと考えるべきだと思います。〈ワシントンの日本大使館〉とあてはめてみれば、意外とすっきりするのではないでしょうか。
過去の植民地支配は反省されなければならないし、それを支えてしまった歴史学や考古学の学説は否定されなければなりません。そこをきちんと通過して、次の段階に進むべきです。