遼東の豕

石母田正さんの『日本古代国家論』(岩波書店、全2冊、1973年)です。
この間、石母田さんの本を少し読んできたのですが、この論文集は、専門書という位置づけをされるというためか、用語がさすがに専門的で、(古めかしいですね、いまとなっては)少し理解するのに時間がかかったように思います。
その中で、日本が当時、まるでみずからが『中華帝国』であるかのように、ハヤトやエミシを「夷狄」のように扱っているという指摘をしている論文があります。さかのぼれば「倭王武の上表文」に、「毛人」だの「衆夷」だのと、列島の住民を見下した表現があるわけで、そうした意識は、新羅渤海あいてにも繰り広げられているというのです。
保立道久さんの『黄金国家』(青木書店)でも、そうした当時の日本政府の国際感覚に関しての論があったことを思い出します(いま読み返せないので、記憶に頼っていますが)が、このように朝鮮半島の国を見下す意識は、日本の中にずっと流れていたように思います。
買って未読の『朝鮮通信使』(岩波新書)にふれるときにあらためてその本の中身も考えて述べたいとは思いますが、中国には畏敬の念をもっていても、朝鮮にはそうはならないというところのある意味での「ねじれ」を自覚しておかなければならないのでしょう。