残酷ではあるだろうが

李箕永という朝鮮の作家の1948年に刊行された小説を日本語で訳して、1951年に出版した『蘇える大地』(金達寿・朴元俊訳、ナウカ社)を見つけました。
あの国の文学といえば、かつては〈世界革命文学選〉などに、黄健の『ケマ高原』が収められたりしたものですが、最近はまったくといっていいほど紹介されない。地下出版もあるのかないのかわからないというありさまです。
この李箕永さんは、日本統治時代から作家活動をしていて、弾圧もうけたことがあるということで、その経歴もあって、独立後は北の地域で活躍したそうです。
この、『蘇える大地』も、1946年から1947年にかけての北部朝鮮での土地改革と、それに伴うあたらしい農村の姿を描いた作品なのです。
やはり、農村における土地の問題が、新しい政権が民衆から支持されるかどうかのポイントになるのだということでしょう。『ケマ高原』も、そういう土地改革が描かれていました。
いまの状況からすると考えられないような、ひとびとの姿です。それを今の報道でみられるような国にしてしまったのはいったい何なのでしょう。『蘇える大地』のなかにも、ソ連軍をたたえたり、新しい政府や〈金日成〉をたたえる場面があって、そうしたところは、さてどうなのかと思ってしまいます。そういうことへの意識をもつかどうかが、その後の展開にもなったのでしょうか。

全くの別件ですが、各地の高校で〈必修科目〉の未履修が露見しています。いったい誰がばらしたのかという気もするのですが、よくわからないのが、文部科学省の定めた指導要領では、地歴は世界史を含む2科目最低4単位、公民は1科目2単位が必修となっています。それを3年間で履修すればいいのですから、1年ずつ2単位を履修していけばいいので、そうしたやりくりはできなかったのか、地歴を2年生までまったく未履修のままにしておいたというのが、解せません。
それと、現在の指導要領の問題や、〈必修科目〉が妥当かどうかの議論も本来なら必要です。そうしたこと抜きで、ただ、〈未履修〉を言い立てるのも、新しい管理のための突破口ではないかという疑いも消せません。