よりどころ

樋口浩造さんの『「江戸」の批判的系譜学』(ぺりかん社、2009年)です。
江戸時代のテキストを、時代とかかわるものとして取り上げてみようという観点から、当時のナショナリズムのありようについて考察したものです。
その中で、日本でも朝鮮でも、「泰伯が天皇家の先祖である」(泰伯とは周の王族のひとりで、『史記』では呉の国の創設者とされています)とか、「箕子朝鮮が朝鮮の古王朝だった」(箕子とは、殷の王族のひとりで、『史記』でも朝鮮に封じられたとあります)という説が唱えられていたのが、17世紀あたりでそうした意見が退けられるようになっていった、それは、明から非漢族の清に王朝が変わったことの反映である、という指摘が目につきました。清に対して、非漢族という点ではある意味対等であるという意識が、そうした転換をもたらしたというわけでしょう。それが適切かはともかく、そうした独立意識が、その後の両国関係にも影響しているのは否定できないようです。