基盤

伊藤之雄さんの『政党政治天皇』(講談社学術文庫日本の歴史22、親本は2002年)です。
1910年代から1930年代初頭までの、日本における政党政治が定着して、五・一五事件で政党内閣が壊れるまでの時期を扱っています。このシリーズでは、一つ前の巻でも、佐々木隆さんが明治憲法体制を評価するスタンスで著述されていますが、今回の伊藤さんも、憲法の規定をうまく運用すれば、イギリスのような立憲君主制になることは十分可能で、そのための動きもなくはなかったという立場です。
しかし、イギリスの王家と、日本の天皇家とのちがいもあるでしょう。イギリス国王は、誰が見ても〈渡来人〉、それも17世紀だか18世紀だかにオランダからやってきたのですよね。日本のように〈万世一系〉だの、百歩譲っても継体天皇以来だのということはありません。近代国家の成立時に、神話的な形で天皇を担ぎ出したことと、憲法体制とをうまく連結する理論が民衆レベルで構築できなかったということは、明治憲法体制の弱点ではなかったかと思います。
そのために、明治憲法のもとで、体制に批判的な勢力は弾圧を受け、場合によっては結社そのものを非合法で運営せざるを得なくなります。議会における論戦、選挙における勝敗によって、〈合法的〉に批判勢力を少数派として〈わさび〉のようにおいておく余裕が、当時の人びとにはなかったのでしょう。それだけ、民衆を信用できなかったということです。
何より、1930年代の農村の疲弊をみれば、イギリスと比較するのが痛々しく思えます。〈衣食足りて〉というのは、決して単なる修辞ではありません。
1932年は、政党内閣の崩壊の年でもあり、『日本資本主義発達史講座』による、日本の政治経済体制の分析の年でもあるのです。