多様な論議

明治文学全集(筑摩書房)の『山路愛山集』(1965年)です。
愛山は一時期は社会主義に接近しましたが、平民社には反対し、国家社会主義と自称するようになるのですが、そこにいたるまでの過程にはけっこうおもしろいものがあるようです。
ここに収録された中に、「日本の歴史に於ける人権発達の痕迹」(1897年)という論考があるのですが、その中では、摂関家とか幕府とかは、イギリスの王政が直接政治を担わないのと同様のものだとして、そのころの超然内閣を批判しています。「世若し濫りに名を君主内閣に托して、皇室を民怨の孤柱となし参らせ、敢て人権進歩の大潮に抗せんとする者あらば、其人や乃ち後鳥羽法皇隠岐に蒙塵させまいらすの愚計を画く者に非ずや」とまでいいます。
たしかに、自由民権運動のなかでうまれた〈五日市憲法〉でも天皇は存在していたように、近代国家のなかに天皇をどう位置づけていくかには、いろいろな選択肢もあったはずでしょう。愛山自身は自由民権運動とはあまりかかわりをもたなかったようですが、それでもこの程度のことは主張しているのです。
いまの〈復古〉をいう人たちはどう考えているのでしょうね。