動的

日本思想大系の『荻生徂徠』(岩波書店、1973年)を、えっちらおっちら読み進めて、やっと本文を通りました。
こまかい学説的なことは、それこそ解説の吉川幸次郎「徂徠学案」(のちに『仁斎・徂徠・宣長』(岩波書店、1975年)にも収録)が詳しいのでしょうが、そこはおいておいて、思考の発展ということについて少し。
ここに収められたのは、学問の分野では、「弁道」「弁名」という、ことばの定義にあたるものと、「学則」という学問の方法論です。ことばを大切にして、漢文を訓読ではなく、中国語で読んで訳をすればいいという方法ですから、当然、定義が大切になります。世間のことばを、定義づけすることは、当然、そのことばのはたらく社会のあり方を考えることになるでしょう。もともと孔子は、魯の政治にけっこう積極的に介入していたのですから、そこも頭にはいったのかもしれません。
そこで、政治論たる「政談」「太平策」が登場するわけです。徂徠の論が、18世紀はじめの日本にとって、よい策であったかはわかりません。市場経済が浸透してゆく中で、消費階級の武士を生産点にもどすことが可能かはむずかしいのですが、ともかく、世界を解釈するだけでなく、変革にかかわろうという姿勢がみえることは、まっとうにものを考えるなら、現状へ何がしかの異議をとなえていくことがある意味必然だということにもなるのでしょう。
徂徠の手紙も何通か収録されていて、その中に、宣長の師、堀景山あてのものもあるというのも、おもしろいです。宣長が、「秘本玉くしげ」の中で、百姓一揆が起きないようにするのが為政者の義務だ(正確ではありません、すみません)と進言したことも思い起こされます。