とりあえず、快挙

角川文庫の新刊で、葉山嘉樹『セメント樽の中の手紙』が刊行されました。
前にも書きましたが、葉山の文庫は1970年代の新日本文庫での『海に生くる人々』以来ですし、今回のような短編集となると、岩波で昔出ていたものがあったそうですが、それ以来だと思います。
蟹工船』に注目が集まる中で、多喜二が影響を受けた作家である葉山嘉樹にスポットがあたるのはある意味当然なのですが、そこをこうして文庫本の刊行にもっていった角川は立派なものだと思います。
ただ、葉山は葉山なりに、複雑な思いをもっていたようで、多喜二が殺されたという報道に接して、日記のなかに、多喜二は小説を書くことが本来の階級闘争の中の彼の任務なのだから、街頭連絡のような仕事をさせるのはおかしいというようなことを書き残しています。(今すぐ出せるところに『葉山嘉樹日記』(筑摩書房、1971年)を置いてないので、あやふやな書き方になってしまっていますが、趣旨は多喜二にこうした任務を与えた指導部への批判です)
ですから、そろそろ、単に『蟹工船』なり、小林多喜二なりが注目されているというレベルのはしゃぎ方ではなくて、どういう扱われ方なのか、また、どういう人たちによって触れられているのか、ということについても、慎重に見ていく必要があるのではないかと思います。
前に書いた、佐高信さんのような多喜二へのアプローチもあるのだから、なんでも手放しに賞賛できるわけではありません。たとえば、「多喜二は、共産党に入る前に書いた『蟹工船』はすぐれているが、その後の作品はだめになっている」という方向での攻撃がくることも十分に考えられるのです。