ゆりもどし

大塚秀之さんの『格差国家アメリカ』(大月書店)です。
アメリカの貧困層の問題は、この本にもふれられている、ルイジアナをおそったハリケーンの被害でうきぼりになりましたが、それは単に格差だけの問題ではなく、そこに流れている『人種差別』の問題や、そこから派生していく経済格差の問題が、その根っこであることも見えてきたわけです。
単に、格差ということでいえば、アメリカ合州国自身が、そうした格差を容認する価値観が多数を占めているであろうことが、予測されます。それに対して、公民権運動のような、差別をなくそうとする運動が大きく展開されていったことも、よく知られているとは思います。
しかし、それに対しても、逆の動きがででいるというのです。ある町で、高校の先生として、白人と黒人と、二人の女性が同時に採用されました。教科も同じです。ところが、何年かして、人減らしが必要になって、二人のどちらかを切らなければならなくなりました。そこで、白人の教師が職を失ったのですが、彼女は、「自分は白人であったがためにくびにされた」と、当局を訴えたのです。そして、裁判所も、一審二審とも、原告の訴えを大筋認めたのです。
本来、人種差別を解消するための「公民権法」の文言が、一般的な差別を禁止するような表現であったために、こうした逆の立場からの訴えが提起される状況を生み出しているというのです。こうした形で、人種差別が後景においやられることは、格差を固定し、より拡大していくことに間違いはないでしょう。スタートラインじたいが差がつけられているのに、そこからハンデも何もなしで競争しても、逆転は起こらないのですから。