記憶として

小田実さん、逝去。
九条の会」の呼びかけ人としての業績には、感動しています。
作家としては、あまり真剣に読んだ事がないので、あまりコメントはできないのですが、『すばる』に連載中の「河」は、主人公をまだ性的に未成熟な男の子に設定したことで、おもしろい展開になるのではなかったと思っています。完結まで待とうと考えて、最近はよく読んでいなかったのですが。

ところで、小田さんが『民主文学』の1983年4月号に寄稿した文章に関してですが、あのとき、実は雑誌を配本してもらって,小田さんの文章を読んだときに、野間訪中団の書き方に対して違和感を覚えたことは事実です。原稿を依頼されたなら、相手の媒体の立場を慮るのは、物書きとしてのある意味では節度をもった対応なのではと思って、考えこんだことは事実です。
案の定、しんぶんに広告が出ません。それに関して、当時文学同盟の事務所にいた、荒砥さんに、「これは小田さんの文章が原因なのでは」という趣旨のことを、話をした(もちろん、正規の場面ではなく、なかば雑談風でしたけれど)のですが、荒砥さんは、まともにとりあわなかったように覚えています。
それはそれでいいのですが、このときをきっかけに起きたごたごたのときに、出て行った人たちが、「だれもあの文章に対して文句を言わなかった」ということを、自分たちの意見を正当化するために言っているのをみたのですが、そのとき「それならきちんと違和感を表明しておけばよかった」と思って、そういう反論をする人たちを、なんだか情けなく思ったのは事実です。これはあとづけではありません。