思い出してみると

小田実さんの『オモニ太平記』(講談社文芸文庫、2009年、親本は1990年)です。
小田さんの「人生の同行者」のご両親のことを中心にしてかいた作品で、それを通じて、日本と朝鮮半島との関係を考えることのできる、楽しいながら、はっといろいろなことに気づかせてくれます。
小田さんのお父様は、「帝国大学」を出られた方のようで、そういう方々を記述したところがあるのですが、「学士会館」あたりに集まって、昔話をしているそういうひとたちは、こんなふうだというのです。

 十人「生きた化石」老人があるとすると、五人までがかれらのえらいさんとしての人生の経歴のどこかで、それらの地名にかかわりあった、もう少しはっきり言ってしまうと、それらの地名を冠した土地の植民地支配にかかわりあっていたと見てよいのだ」(149ページ)

それらの地名とは、「満州」「朝鮮」「台湾」などです。小田さんは私の父と同学年なので、小田さんにとって「生きた化石」のかたがたは、私の祖父くらいということになるでしょうか。祖父は高等師範出なので、帝国大学ではないのですが、経歴を思い返してみると、たしかに「台湾」にいたことがありました。まもなく〈内地〉にもどり、東北地方の中学をあっちこっち動いていて、戦時中は一関で教えたのです。終戦時は石巻にいたので、及川和男さんとはすれちがったようですが。でも、台湾のことはすっかり忘れていたので、この部分を読んで、はっとしました。

〈人生の同行者〉の方は、朝鮮学校で民族教育を受けた方なので、秀吉というと、朝鮮を侵略した人物という位置づけになるのですが、そのときに、李舜臣のことなどが、話題になるのだそうです。(144ページ)
 このところ、『坂の上の雲』へのきついことばかり書いていますが、李舜臣のことを初めて知ったのは、『坂の上の雲』だったことは、忘れないでおきましょう。日本艦隊が、鎮海湾でバルチック艦隊を待っていたときの叙述の中に、出てきます(本はもう持っていないので、正確な場所は指摘できませんが)。水軍の英雄という位置づけで、アジアの将軍として敬意を払うべき人物というようなスタンスだったような記憶が、おぼろにあります。