声は届くのか

宮城肇(みやしろ はじめ)さんの、『さまよえる子ら』(光陽出版社)です。
宮城さんは、長く中学校の教師を勤めながら、小説を書いている方で、この作品集は、『民主文学』に掲載された作品のほかに、文学教室で書いたものなども収録されています。
描かれている世界は、子どもをめぐるものがほとんどです。学校の教師から生徒をみる作品もあれば、親が子どもをみつめるものもあります。いずれも、今の世の中で子どもたちをめぐる社会のありかたを問いかけています。
教育基本法を変えようと、あのおじいちゃんっ子の人が執念を燃やしているのですが、あの人がめざす世の中に、宮城作品の中で、傷ついている子どもたちの声は届くのでしょうか。自分をみてもらいたい、自分がかけがえのない存在であると自信をもちたい、そう考えながらも、それを表現できずに傷ついているひとびとを、あの人はどんな風にみているのか。そんなことを考えてしまいます。
「自己責任」とはこわいことばで、だます側よりだまされるほうが悪い、いじめる側よりいじめられるほうに問題がある、そういうことばですよね。そんな時代の子どもたちに、おとなたちはどう対応するのか、それも考えると、大変なことだなと、あらためて思います。