善意? の勘違い

西牟田靖という若い人(1970年生まれだとか)が、「僕の見た『大日本帝国』」という本を昨年出しました。旧日本の植民地を実地に訪れて、そこの見聞を本にしたものです。大江志乃夫にも、同様の本があった(新潮選書で『日本植民地紀行』というタイトルだったと思う)のですが、それとはまたちがった切り口です。
それは、本人は中立のつもりでいるのだろうが、実際はそうではないということなのです。西牟田は、南樺太や中国東北、南北朝鮮・台湾や南洋群島などを訪れます。そこで、日本統治時代の記憶をもつ人たちに出会い、その人たちの中に残っている「日本」を感じ取るのです。それはそれでよいのかもしれませんが、それだけでなくその土地に残る神社の址を訪ね、帰国すると靖国神社に向かうのです。
さらに、驚いたのは、中国東北において、現地の人に議論をふっかけるときに、チベットを引き合いに出すことです。「チベットは中国なのか」という問いかけをして、もちろん中国の人は『中国だ』と答えますから、それに西牟田は疑念を呈するのです。
チベットを現在の中華人民共和国の版図にいれることに疑いを持つ人はたしかにいるでしょう。けれども、現在もチベット族が住んでいて、チベット語が話されているチベットと、「満洲」といわれていてもそこにいたのは漢族で、話されていたのも中国語である東北地方を同一視することができるわけはありません。まして、チベット政権がかりに存在するとして、その政権がたとえばインドやイギリス人が実権を握っていて、現地のチベット族が一段低く見られるということがあるのならともかく、そんな話は聞いたことがありません。そうした差異を知らずに(無視して)チベットと東北とを同列にしようとする西牟田歴史認識は、問題にされなければなりません。
で、第2弾というつもりでしょうか、こんどはタイトルに「写真で見る」をつけて、少し大判で再び新しい本を西牟田が出しています。あとがきをぱらぱら見ると、やはり靖国に向かい、そこで中国人と対話したことを書いています。自分が旧植民地で神社を探すのは、そこに当時の日本人社会のよりどころを見たいからだという趣旨のことを書いていました。そう単純に神社をあつかってもらいたくはありません。戦前の神社をそうしたものとみて、それが靖国につながるというのでは、『右も左もない』というオビの文句は通用しません。
その本が、代々木の新日本出版社のあるビルの1階にある、美和書店に入荷していました。もちろん、批判的な本として読んでもらうつもりで入荷したのならよいのですが、そうでなければ、誤解を招くのではないかと、すこし心配なのです。