古くする

隋唐帝国と古代朝鮮』(礪波護、武田幸男著、中公文庫、2008年、親本は1997年)です。
「世界の歴史」のシリーズの中の一冊です。礪波さんが中国の部分を、武田さんが朝鮮の部分を執筆しています。
さて、朝鮮半島の歴史は、半ば伝説の「古朝鮮」という時代があるそうです。「檀君」「箕子」「衛氏」と続くのですが、「箕子」「衛氏」はいずれも中国から渡来した人物がたてた国だという伝承になっているのだそうです。伝承では、「箕子」は殷周交代期の人ですから、だいたい紀元前11世紀くらい、「衛氏」は紀元前2世紀に、「箕子」の末裔といわれる王朝を倒して権力を握った(これは『史記』にはっきり書かれているので、まずまちがいない事実でしょう)ということになっています。
日本でも、日本人の祖先は「呉の太伯」(やはり紀元前11世紀の人)だの、秦の徐福(紀元前3世紀の人)とともに海を渡った人びとだのという伝説があって、そうした、外国からの何かしらの伝来をともなうような伝承があるのと、似たようなものかもしれません。
さて、「檀君」ですが、紀元前2333年が、「開国」の年なのだそうです。平壌に都をおいたとかで、平壌に、塚があるのだそうです。まあ、ここまでは、神武天皇みたいだなとおもっていればいいのでしょうが、さて、武田さんの記述によれば、こうだそうです。
「1993年に始まった発掘調査で男女の人骨が発見された。そのうち男性の骨は5011年±267年前に出生した人物のものであり、そしてそれこそが檀君自身の遺骨だと判定された。そうなると、古来の檀紀でも新しすぎるので、それも誤りということになった。(改行)墓はさっそく改修された」(年代を算用数字に直しました)
別に悪口をいうわけではないですが、日本で、たとえば継体天皇陵にされている太田茶臼山古墳が、5世紀のものだからといって、継体天皇が6世紀の人だという『古事記』や『日本書紀』の伝承を、年代がちがうとはいいませんよね。宮内庁の指定がまちがっているのではないかということで、時代にあうであろう今城塚古墳が「継体大王」の墓であろうと、みんな考えます。伝承の墓が、それより古ければ、別の人と考えるのが普通ではないかというと、発掘に携わった人たちは、怒りだすのでしょうか。
なにの本で読んだのか忘れたので、はっきりとはいえませんが、「経絡」を科学的に実証したといっていたことまで思い出しそうになりました。
関係者の方で、気を悪くされたら、ごめんなさい。