自分のことばで

あまりいい気分の話ではないですし、これを書くと、またどこからか、「文学官僚のねこぱんだは」とか、「運動の発展を阻害する」「敵と味方を混同する」とか、石を投げられそうですが。

竹内栄美子さんの『戦後日本、中野重治という良心』(平凡社新書)です。といっても、そういう事情なので、全部通読したのではなく、いい気分にならないところを拾い読みの段階なのですが。ともかく。
竹内さんが、中野びいきなのはべつにかまわないのですが、基本的なものは、きちんと自分のことばで評価してもらいたいというのが、意見なのです。
ことは、新日本文学会の第11回大会にかかわるのですが、この大会の幹事会報告と、その「対案」をめぐってのことです。このとき、戦後民主主義文学運動の伝統を無視して、当時の幹事会は、報告草案を『新日本文学』誌上に発表しました。それは、意見を誘発することで、会内にあった対立を公然化させ、『共産党が介入した』という口実をつくるための挑発だったのです。それに対して、その内容に承諾できない人たちは、大会席上で議論して欲しいと、「対案」をだしました。その提案者の中には、新日本文学会の発起人の一人だった、江口渙さんもいました。しかし、大会運営のなかで、それは正式な議案としてはとりあげられなかったのです。

このとき、挑発にのってしまったのが正しかったかはおきましょう。竹内さんの本では、このへんのいきさつを、『甲乙丙丁』の引用で、こと足れりとしているように見えます。武井署名の報告草案と、「対案」とを具体的に比較して、どちらが道理があるかを、竹内さんのことばで語ってほしかったのです。『甲乙丙丁』では、党本部に呼ばれた中野をほうふつとさせる人物が、「対案」提出を葬り去った理由を、とくとくと述べています。(竹内さんの本のP214に引用されています)けれども、そこで、「対案」を提出させないことが分裂を防ぐという、主人公の論理は、提出者が結果的には会を除籍された(竹内さんは除籍されたとひとごとのように書いて、除籍したほうの責任は問うていません)ことで、無意味になったのではないでしょうか。なぜ主人公は、除籍を承認したのでしょう。

そのへんを、竹内さんに自分のことばで語ってほしかったと思います。その点では、この本は、先行世代の口真似にしか過ぎません。