それをいうなら

竹内栄美子さんの『中野重治と戦後文化運動』(論創社、2015年)です。
近代文学研究の立場からの研究論文を集めた本というのは、最近ではやはり珍しいもので、プロレタリア文学運動や、戦後の文化運動のありようを、批判的な目をもちながら、大局的には擁護しようという著者の意図は、よくわかりますし、そういうなかで、サークル詩の運動などにも目配りしているのは、理解できます。
それだけに、「五〇年問題から続いた共産党による政治的指導の弊害をきっぱりと切断したのがこの一一回大会であった」(183ページ)と新日本文学会の第11回大会をばっさりやるような表現は、一面的すぎるのではないかと思うのです。もちろん、当時の大会を主導した人たちは、そう考えていたのでしょうが、それを50年後の研究者がそのまま書いていいのか、それとも、こうした〈枕詞〉をつけなければ、研究者の世界でもやっていけないのか、どうしたものでしょう。