そうであっても

イリヤ・エレンブルグ『人は生きることを望んでいる』(川上洸訳、新評論社、1954年)です。
著者の、戦後の平和問題に関する文章を集めたもので、1953年にモスクワで出た本を中心にまとめています。
まだ、「スターリン批判」より前の時代ですし、当時の「東側」の実態が知られるようになった現在では、ひょっとすると、エレンブルグの主張は、「いい気なものだ」と思われるかもしれません。
しかし、以前バーチェットの『ふたたび朝鮮で』(2006年12月29日)を紹介したときにも書いたと思いますが、板門店の休戦会議をアメリカ側が妨害していたのも事実ですし、たとえ北が始めた戦争とはいえ、一度戦争が始まってしまえば、前線は何でもやってしまうものです。
また、1950年代のアメリカで、小学校などで「対空爆訓練」として、警報を合図に机の下に隠れるというたぐいの訓練が行われていたのも事実です。実はこのことを知ったのは、ドリス・カーンズ・グッドウィンの『来年があるさ』(単行本はベースボール・マガジン社松井みどり訳、2000年、原本は1997年)が『週刊ベースボール』で連載されていたときなのです。
アメリカが、相当本気だったことにはまちがいはないのでしょうから、エレンブルグの当時の発言も、決して単純なプロパガンダとはいえません。

ずっと前に、戦後まもなくの、日本から接収した『長門』や、ドイツからの『プリンツ・オイゲン』などを標的にした原爆実験のときの、兵士たちのその後を追ったテレビ番組で、当時の映像が紹介されていたのですが、兵士たちは、まったくといっていいほど、放射能に対する防護をしていなかったのです。そんな認識で、「戦争」を考えていたとしたら、アメリカ合衆国という国は、いったいなんなのだといいたくもなりますね。