はやりすたり

伊地知鉄男(1908-1998)の『連歌の世界』(吉川弘文館、1967年)です。
連歌というジャンルは、実質的には14世紀と15世紀の約200年間に日本文学の中に位置を占めていたという形になっています。この本では、その時代を中心に、連歌師の仕事を追跡しています。
連歌がこの時代にはたした役割は、なんと言っても、文学の裾野を広げたことでしょう。当時の連歌界の中心的な存在であった宗砌は武士、心敬や宗祇は僧侶(それも出自が低い)であり、決してそれ以前の時代ならば、文化の中心にはなれなかった人たちです。そういう人たちが、連歌の世界を指導していくところに、中世期の新しさがあったのでしょうし、複数の人間が集まって制作するという、ある意味、書き手と読み手とが一体化する環境が全国に広がったことも、文学にとってはよいことなのでしょう。その点では、現在の文学運動にも、何かしらヒントを与えてくれるような気もします。
しかし、それは逆に衰退の原因だったのかもしれません。『徒然草』のねこまたの話は有名だと思いますが、あのとき、法師は、飼い犬がじゃれてきたのを、ねこまたに襲われたと勘違いして、連歌の会の賞品の扇などを落っことしてしまうのです。そうした、賞品が出るような催しになってしまうことは、場合によっては、賞品目当てという形になる危険もあります。また、裾野の広がりが、低俗の方向に行くと、逆に「高尚」なものを求めるようになり、もっと伝統的な文化に、目がいくようにもなるかもしれません。関が原合戦のとき、細川の城が囲まれたとき、古今伝授が絶えたら大変だと、勅使がやってきて休戦させたという話がありますが、そういう、なかば笑い話になるようなできごとも、その後の世代には起きるのです。
著者は、衰退からあたらしく勃興した町人層の手になるものが、俳諧につながってゆくと位置づけていますが、そういう形で、文学のありようも変化していくのかもしれません。