この時期

村上春樹さんの『1Q84』(新潮社)です。

ネタバレがありますので、いやなかたはご遠慮ください。



なぜ、1984年なんだろうか、ということが、ひとつの問題かもしれません。というのは、時事的なことが出てこないからです。といっても、そうしたものが出てこないというところに、意味があるのでしょうか。(日本では、この年大きな選挙はありません)
もちろん、ジョージ・オーウェルが意識されていることにはちがいありません。そのほかに、考えられることとしては、
これ以上時代を遅くすると、実際に「危ない」「宗教団体」が実在してきて、それを想像させてしまい、作品世界に読者をいざなえなくなるということ、
70年に向けた過激派の残党としてのリアリティが薄れてしまうこと。(ふかえりが生まれる時期をこれ以上遅くできない)
タマルの「樺太在住朝鮮人の子ども」という設定を生かす年齢がこれぐらいしかないこと。
あたりでしょうか。

個人的には、こういう世界は、やっぱり苦手です。